体育祭のあの日、輝いていた応援ダンス

この記事は2分で読めます

37ea7d002d701a665a24dcd5076a7014_m

私の通っていた高校では、

体育祭で応援ダンスを披露するという伝統がありました。

 

 

タイミングとしては昼食後の時間に1年生から順番に
披露するようになっていて、
そのクオリティによって得点が入るシステムになっていました。

 

 

この得点が結構大きくて、他の競技では成績が悪くても
応援ダンスで盛り返せる可能性が十分にあるほどです。

 

 

ですので私も3年間、
クラスのみんなと一生懸命に踊っていました。

 

 

そしてふと最近、
その頃の自分をよく思い出すのです。

 

 

理由は定かではありませんが、
もしかしたら今の自分に満足できていないのかもしれません。

 

 

思えば高校生のその当時は、
自分自身でもすごく輝いていたなと思います。

 

 

スポンサーリンク

 

 

体育祭と輝いていた青春の日々

 

私は部活動や習い事もやっておらず、
正直真剣に打ち込むようなことは
あまりない学生時代を送っていました。

 

 

だからこそ、
その体育祭や応援ダンスの機会は
刺激も大きく達成感がすごかったのです。

 

 

3年生の頃は応援ダンスを終えて思わず涙ぐんでしまったし、
高校生活の中でも一番自分がキラキラしていられた
行事だったと思います。

 

 

いつも応援ダンスでは、
その頃に流行っている音楽に乗せて踊っていました。

 

 

大体はクラスの中心人物が知らない間に曲を決めて
話が進んでいるのですが、
それをきっかけに新しい音楽の趣味が生まれたりするので
なかなか良かったです。

 

 

練習は放課後にみんなで集まってやっていました。

 

 

塾や部活をサボってまで残るような生徒もいたので、
私と同じようにその時間を大切にしていたのだと思います。

 

 

踊り過ぎて今までなったことがないような場所が
筋肉痛になるのも恒例でした。

 

 

不思議なことに、思い出せば思い出すほど
懐かしさと共に切なさが込み上げてきます

 

みんなで何かに取り組み作り上げる喜びは、
そのときに学びました。

 

 

スポンサーリンク

 

 

体育祭の応援ダンスから学んだこと

 

今私はイベントなどを立ち上げる会社に勤めていますが、
そういう方向に就職したのも
この応援ダンスの存在が大きかったのでしょう。

 

 

ただどうにも今の私は、
応援ダンスの頃のような充実した気持ちには
なれないでいるのです。

 

 

この原因がどこにあるのか、
また具体的な解決策などは分かりませんが、
1つだけ言えることとしては本当に楽しい高校生活だったな
ということです。

 

 

そしてもちろん、その陰には、
体育祭や応援ダンスの存在があります。

 

 

自分で自分を輝かせることは、
そう簡単にできることではないでしょう。

 

 

それを自然にできていたあの時間は、
人生の中でかけがえのないものです。

 

 

また当時のような輝きを放てるよう、
これから頑張っていきたいです。

 

 

スポンサーリンク

 

 

※この記事は寄稿されたものです。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

  1. tukimidango
  2. sannma
  3. geinou1
  4. hakketubyou
  5. kuri
  6. hakone1

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

おすすめ記事を表示するためには、あらかじめ記事編集画面にあるカスタムメタボックスより「おすすめ記事」を選択してください。